2013年11月10日日曜日

My original apron   


  
 







  color : HAND PAINTED FABRIC
                 RED BROWN 
                               cotton 100%
Phot by  August Sander
                                        

2013年4月4日木曜日

Boeket van het licht

Boeket van het licht.   

























特別な花束というものは、
それを紐解い尚、
その気配の余韻を残している気がする

 ― What is it that you really want to staring at?

 I already know.

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                                  “ 白が極まり、黒になる ”

 

  オリーブの黒い実が光の球にみえるように、

  私には、スケッチも、デカルコマニーも、

  すべて、まばゆくみえる。

  黒が「暗い」とされていることがよくわからない。

  瀧口の使うブラックのインクには、強烈に明るい瞬間が

  あるように感じる。

  べて黒の作品であっても、

  水をおとしてにじませたインクのふくらみなどがあると、

  そこがまばゆく光ってみえる。

  水をはくことで、

  線に呼吸をあたえ、空間をもたらし、 

  そこに光と時間があらわれる。

  一点のにじみが、強烈な明るさになっている。

  瀧口の黒が、明るすぎて、白になるときがある。

 そのたびに、白と黒は同じことだと感じる。

  言葉遊びではなく、

  実感として、思う。

  たとえば、春になるとひとが狂う、

  ときく。

  桜をみると狂う、

  とも、きいたことがある。

  私は

  目黒川に咲くソメイヨシノをじっとみていると、

  めまいを起こすことがある。

  昔は、吉野山のむこう、  遠景から花見をするくらいが、

  花とひととの距離だった。

  春の光で、  桜の花の花弁や雄蘂の輪郭の際が

  ことさらはっきりとなって、みるものに迫る。

  あまりにもみえすぎるから、

  人間の認知の限界を一瞬にして超えて、

  なにもみえなくなって、  狂うのだと思う。

  その強烈な光の白さは、結局、黒さ、でもある。

 

  白が極まると黒になる。 

 

  瀧口の作品をみると、いちばんにそのことを感じる。   

 

 文・朝吹真理子