2013年4月4日木曜日

Boeket van het licht

Boeket van het licht.   光の花束。


こんなに絵になる花束をもらったのは、生まれてはじめてだった。


絵画、建築、写真。そして日常の風景。

光と影のバランスが、すべて

フェルメールの絵、ルイス・バラガンの建築。 
アウグスト・ザンダーの写真。


これが最高の位置、と
彼女が言ったバランスを保ちたかったけれど


秒過ぎる毎に、その姿は、バランスを変えてゆく


















特別な花束というものは、
それを紐解い尚、
その気配の余韻を残している気がする




  ― What is it that you really want to staring at?

I already know.

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                                  “ 白が極まり、黒になる ”

 

  オリーブの黒い実が光の球にみえるように、

  私には、スケッチも、デカルコマニーも、

  すべて、まばゆくみえる。

  黒が「暗い」とされていることがよくわからない。

  瀧口の使うブラックのインクには、強烈に明るい瞬間が

  あるように感じる。

  べて黒の作品であっても、

  水をおとしてにじませたインクのふくらみなどがあると、

  そこがまばゆく光ってみえる。

  水をはくことで、

  線に呼吸をあたえ、空間をもたらし、 

  そこに光と時間があらわれる。

  一点のにじみが、強烈な明るさになっている。

  瀧口の黒が、明るすぎて、白になるときがある。

 そのたびに、白と黒は同じことだと感じる。

  言葉遊びではなく、

  実感として、思う。

  たとえば、春になるとひとが狂う、

  ときく。

  桜をみると狂う、

  とも、きいたことがある。

  私は

  目黒川に咲くソメイヨシノをじっとみていると、

  めまいを起こすことがある。

  昔は、吉野山のむこう、  遠景から花見をするくらいが、

  花とひととの距離だった。

  春の光で、  桜の花の花弁や雄蘂の輪郭の際が

  ことさらはっきりとなって、みるものに迫る。

  あまりにもみえすぎるから、

  人間の認知の限界を一瞬にして超えて、

  なにもみえなくなって、  狂うのだと思う。

  その強烈な光の白さは、結局、黒さ、でもある。

 

  白が極まると黒になる。 

 

  瀧口の作品をみると、いちばんにそのことを感じる。   

 文・朝吹真理子